母のこと

母は三人姉弟の次女として育ちました。

長女とは7つ、弟とは5つほど年齢が離れています。

母は自分の事を「頭が良いわけじゃなかったから、努力するタイプだった」と言っていました。

確かに努力家だと思います。

学生の頃は学級委員長で、クラスの問題のある子(精神的に病んで登校拒否になっていたらしい)を先生に押し付けられたりしたそうです。

太っていた事などから虐めにあったことも聞きました。

その時は不良グループのみんなに可愛がってもらって、暴走族グループの中になぜか一人分厚いメガネをかけた真面目で成績の良い学級委員長の自分が混じって昼食を食べるという感じだったそうです。

その友人らは、受験期に夜中に家の目の前の公道を暴走しながら「○○(母の名前)~!!受験勉強がんばれよ~~~!」と拡声器で応援してくれたという話を何度も聞きました。

よほど嬉しかったのでしょう(笑)

母は疲れが溜まると、今でも4歳くらいの頃の出来事の夢を見ると言います。

「3~4才くらいの頃、昼寝をしていた自分を起こしては悪いと思った家族が、自分だけを置いてお墓参りに出かけてしまった。
ふと目が覚めると家の中には誰も居ない。
窓の外を見ると家族が歩いている。
寂しくて一緒に行きたくて、窓を叩きながら叫んでいるのに気づいてもらえず、置いていかれてしまった。」

どうやらそれが母のトラウマのようです。

母はいつも自分だけ手伝いをさせられて、自分の姉は何もせずに甘やかされていた事を不満げに私に話していました。

「いつも○○ちゃん(伯母)だけ何で何もしないで、私だけこんなに手伝いとかさせられるんだろうって思っていた」と何度も聞きました。

どうやら自分の姉に相当なコンプレックスを抱いているようです。

そして、その姉を甘やかし、自分が母親に似ているからという理由で差別をしてきた自分の父方の祖母(私の曾祖母)も恨んでいるようです。

何度もその話を聞きました。

受験には推薦で合格し、父と同じ某私立大学の医学部に入りました。

大学時代は周りから可愛がられ、その明るい性格からモテてはいたようです。

真面目に勉強して国家試験をパス。

お寺の方と結婚する事が決まっていたらしいのですが、タイミングよくプロポーズした部活の先輩であった私の父と結婚することになったそうです。

父の話はまた別に書きます。

編み物と料理と洋裁が得意で、編み物にいたってはカップ○ードルのCMに使う帽子を編んでほしいと依頼があった事もありました。

ピンクの毛糸で何度も試作品を作っていたのを今でも覚えています。

その残りの糸で私もマフラーを編んでもらいました。

カウチンからセーターまで、色々なものを編んでもらいました。

小さい頃の洋服は全て母の手作りだったくらいです。

母は「生き辛い」と感じながら生きてきたと言っていました。

父に対して言いたいことが言えず、自分の希望を口にすることができなかったとよく嘆いていました。

自分が劣等感の塊だったこともポツリと言っていました。

母は私を産んだ後、二度流産しています。

流産しやすい体質だったのに、父と姑に「寝てばかりで不出来な嫁だ」と罵られたことに腹を立て、無理に動き回った事が流産の原因だったそうです。

ハッキリとは言いませんが、昔一度だけ「その時の事は一生忘れない」と言っていたことがありました。




母の父(私にとっての祖父)はとても気性が荒く、気に入らない事があれば妻と子供を雪の降る寒い夜でも平然と家から閉め出しました。

亭主関白の見本とでも言いましょうか。

何か気になる事があっても自分から動くことはせず、誰かに「あれは○○だからこうした方がいいんじゃないか?」とコッソリ言ったりするタイプだったみたいです。

私の母は祖父についてあまり語りません。

私の父は母方の祖父に少し似ているそうです。

頭の回転の速い人だとは言っていました。

母方の祖父は今現在はペットの犬を可愛がる、おっとりとした優しいお爺ちゃんです。

あんなに亭主関白だった祖父は、現在カカア天下で祖母の尻に敷かれています(笑)

孫にも気を使ってくれる物静かでよく動く可愛いお祖父ちゃんです。




母の母(私にとっての祖母)はとても努力家で、図書館にある本を片っ端から読むのが好きだったようです。

裁縫が得意で、私もよく浴衣等を作ってもらいました。

昔は学生寮を営んでいて、沢山の学生さんたちのために大量の食事を作ったりと大忙しだったそうです。

見た目と気さくなとこはうちの母とそっくりです。

義母(私にとっての曾祖母)からかなり酷く苛められていたそうです。

愛想があるタイプではないけれど、とっても真っ直ぐで真面目で正直な人だと思います。




母の姉(私にとっての伯母)は昔から美人でモテて我侭だったそうです。

母の祖母(私にとっての曾祖母)に可愛がられ、寮の学生さんにもモテ、自由奔放に生き、薬学部に入り薬剤師になり、医者である大学の先輩(私にとっての伯父)と学生結婚をして専業主婦になり、子供を4人儲け、統合失調か境界例のような症状があまりにも酷かった事が原因で最近離婚しました。

片付けができない人で、常に「私は疲れているんだ!」と喚き散らしていたそうです。

夫婦間の問題は常に絶えなかったと聞いています。

あらゆる金融機関や祖母たちや自分の子供たちや元夫から借金をし、それをホストクラブや着物や装飾品を買うのに使い果たし、慰謝料も全て散財したそうです。

伯母は母の事を憎んでいるそうです。

不幸になればいいと切に願っているようです。

自分の子供の不幸も喜んでいる節があります。

基本的に、自分以外の人間が幸せになる事は許せないタイプみたいです。

言う事は支離滅裂。

私の母は伯母に対して劣等感と憎悪を抱いているように感じます。




母の弟(私の叔父)は頭が良く、教える事は全て飲み込んであっという間に覚えてしまう子だったそうです。

記憶力がとても良く、勉強のできる子で、T大に入りました。

弟とは仲が良かったようで、よく勉強を教えたりしていたそうです。

勉強はできるのですが、何だか変わった人だと思います。

少しだけ一緒に住んだ事があったのですが、常に部屋は文庫本とCDでいっぱいで、布団以外のスペースは歩く場所もありませんでした。

就職先が決まった時も、新聞社だと言うから記事を書いたりするのかと思いきや、新聞に折り込み広告を入れる仕事でした(笑)

今は塾講師をしている・・・のかな?

何しているのか謎な人です。




上記の事から、母は機能不全家族の中で育ってきたACODなのではないかと思います。

ただ、ACは自己申告のためのものなので、彼女が自分がACだと思わない限り、彼女がACだとは言えません。

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