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女の子らしいもの

従姉や親友が可愛いキャラものの鏡とか持っているのを見て、すごく羨ましいと思った。

だけど、「私には似合わない」という先入観がある。

だから手に取れないでいる。

たぶんこれも呪縛なのだろう。

可愛いもの・女の子らしいものは似合わない・・・

ずっと言われてきたなぁ。

今でも憧れる・・・ああいう可愛いものを何の違和感も無く素直に持てる彼女たちに。

可愛いものを素直に持てる時期もあった。

結局元彼と居た時だけなのだけど・・・。

どうしてあの時はあんなに素直な自分でいられたんだろう?

そしてそんな私を見た母親は「あんたらしくない感じがした。窮屈なんじゃない?」って聞いてきた。

また呪縛。

呪縛呪縛呪縛。

首を絞められているみたいだ。

下着

中学の頃だったか、周りの子が可愛い上下お揃いの下着を買うようになって、私も欲しくなった。

女の子らしい可愛い下着。

母と下着を買いに行こうとしたとき、上下セットの可愛い下着を手に取った。

母に怪訝な顔をされたのをよく覚えている。

「みんなこういうの持ってるんだよ!可愛いでしょ?私も買ってもいい?」と聞いた。

何て言われたかは忘れたけれど、確か「いやらしいお姉ちゃんみたい」みたいな事を言われた気がする。

結局買ってもらったのだけれど、母は私がそうやって女としてお洒落をしようとすると貶す事が多かった。

茶髪でロングヘアで巻き髪にして、可愛い肌を見せるような服を着れば「キャバ嬢みたい」と言われ、ピンクのものは似合わないと言われ、長い髪は汚いと言われ、浴衣を流行りの感じに着こなそうとすれば「銀座のホステスみたいで下品だ」と言われ・・・。

悉く批判される。

しかも言いかたが、必ず「下品・キャバ嬢・ホステス」といった感じのものだ。

うちの父もそうだった。

それから可愛い下着は私には似合わないと思って、下着に興味はなくなった。

下着でお洒落をするということがとてつもなく下品で淫らな事のように思えた。

今の私は「無頓着」状態。

女としてこれはまずいだろうと思うくらい。

好きな服装も髪型もできない。

父や母に貶されないものを選ぼうとしてしまう。

だけど本当は、茶髪でロングヘアーで巻き髪にして、ちょっと露出が多めだけど可愛い服を着こなして、可愛い見せ下着とかを集めるのが好きな子になりたかった。

今からでもなれるだろうか?

親からの批評を気にせずに、好きな服装ができるようになるだろうか?

こんなとこにまで親の呪縛があるとは思わなかった。

「あなたって髪が長いと麻原彰晃みたいよね(笑)しょーこーしょーこー♪って感じ」

髪が長くなる度に言われました。

それ以来、髪を伸ばすと不安になって切りたくなるようになりました。

そして未だに言われます。

自分の顔にも自信が無くなりました。

鏡見て、自分の顔を見ると、自分じゃないような気分になります。

「私って、こんな顔なんだ~」といつも思います。

お酒

父はお酒を飲んで飼っていた犬に絡んでいた。

犬は怯えて逃げようとしていた。

父は犬の尻尾を掴んで引っ張り、「何で逃げるんだよ!!」と怒鳴った。

犬は恐怖でいっぱいの顔をしていた。

父は機嫌が悪い日はいつもお酒を飲んで家族の誰かに当り散らし、壁を殴ったり、ドアを大きな音を立てて閉めたり、ドアを蹴って穴を空けたりしていた。

でも、仕事でのストレスがあるから仕方ないと私も母も我慢していた。

私はもう限界だと思い、「可哀想でしょ!機嫌が悪いからっていい加減にしなさいよ!!」と言い、父の持っていたビールを取り上げ、父にかけた。

父は怒ってドアをバタンと閉め、バスルームのドアを強く蹴って穴を開け、ドスドスと足音を立てながら階段を上がって自分の部屋に入り、襖をバタンと閉めた。


その後、私がどうしたのかわからない。

母はどんな顔をしていたのかも思い出せない。

誕生日

何歳の誕生日かは忘れました。

中学の時だった事だけは家の風景から覚えています。

母と二人で向かい合わせに机に座って、いつもより少しだけお洒落に飾った食卓を囲んでいました。

また食事を始めて少ししか経っていなかったと思います。

母は用事があるらしく、何度も「ごめんね!」と言いながら出かけて行きました。

私は笑顔で「いいよ~!行ってらっしゃい!」と見送りました。

目の前には私の食べかけの食事と、グラスに注がれたカクテルと、母が座っていた筈の空になった席と、母の食べ終わったお皿が残りました。




その後、自分がその目の前にあった食べかけの料理をどうしたのか覚えていません。

折れた賞状

中学の頃、電話機の横でクリーム色をした二つ折りになった紙を見つけました。

そこには母の字で誰かの家の電話番号と、その電話番号の持ち主の名前と、意味のわからないグルグルが書いてありました。

広げて見ると、その紙の内側には金色の縁取りに黒の文字で「賞状」と書いてありました。



「賞状 北川雪乃 殿・・・・」



私は「お母さん、これ私の賞状だよ~!」と笑いながら言いました。

母は、「あ、ホントだ!気づかなかった!ごめんね~あはは!」と笑って言いました。





それからその二つ折りのメモ帳になった賞状が何処に行ったのか、私は知りません。

酔った勢い

中学の頃、母は知り合いの病院の先生たちと飲み会に出かけていました。

塾の帰りにその店の近くに通りかかったので母に電話したところ、家は誰も居ないし帰っても一人なので、「来てもいいよ」と母に言われたのでその店に行くことにしました。

お店に着いて挨拶をすると、K先生に

「雪乃ちゃん、痩せて胸も出て体つきも色っぽくなったね~!」

と言われました。

褒められたのは解っていました。

だけど何だか気持ち悪くて、その場に居たくないと感じました。

母に「一緒に帰ろう」とコッソリ伝えました。

すると母は「バスで帰りな?」と私に言いました。

その時、「この人はまた私を助けてくれない」という絶望と怒りが湧き起こりました。

手に持っていたバッグで母を殴ってしまいました。

するとK先生が

「親を大事にできないお前なんかに医者になる資格はないしなれるわけもない!!!」

と大声で怒鳴りました。

私は店を出て、泣きながら父に電話をし、もう先に家に着いているとの事なので、車で迎えに来てもらいました。

父に泣きながら一部始終を話しました。

父は助けてくれると信じていました。

優しい言葉をかけてくれると思いました。


「そっかぁ。でも先生も酔った勢いでそんな事言っちゃったんだよ」





その何年後かに、母はK先生に久しぶりに会ったそうです。

その時、K先生は「あの時、酔った勢いとはいえ、雪乃ちゃんに酷いことを言ってしまった。まだ僕を恨んでいるかな?」と申し訳なさそうに言っていたそうです。

母は「もう別に気にしていないみたいですよ!」と言ったそうです。

そして私に「別にそんな事もう気にしてないよね?」と念を押しました。

未だにそれを根に持っているのはおかしいのだと思いました。

なので忘れた振りをしました。

私は笑って「あぁ、そんな事もあったね」と言いました。



一度たりとも、あの日の事は忘れたことはありませんでした。

初めての過呼吸

この前、何があったのかわかりませんが、久しぶりに過呼吸の発作がありました。

主人に抱きしめられ、「大丈夫だよ」と何度も声をかけてもらい、二酸化炭素を送り込んでもらって、落ち着きました。

本当に久しぶりで怖くて、泣いてしまいました。

それと同時に、自分が初めて過呼吸になった時のことを思い出しました。




私が初めて過呼吸になったのは中学の時でした。

あざみ野にある英語の塾に行く途中で母と大喧嘩をしたのを覚えています。

本当に派手な大喧嘩で、私はテキストを母に投げつけ、車を飛び出しました。

それが母の目に当たり、母の白目は赤いインクをたらしたかのように真っ赤になっていました。

それを見て大変な事をしてしまったと思い、母に謝り、泣きながら「今すぐ病院に行って欲しい」と何度もお願いしました。

しかし母は「いいの!お母さんなんてどうなってもいいのよ!!」と繰り返すばかりでした。

すると突然呼吸の仕方がわからなくなり、息が吸えなくなりました。

「息ができない・・・」とやっとの思いで母に伝えました。

母は「過呼吸?その辺の袋でも口に当てておきな!」と一言言うだけでした。

初めての過呼吸発作。

私はそのまま死ぬんじゃないかと思いました。

そんな恐怖でいっぱいでした。

でも、薬剤師である母は過呼吸くらいで死なない事を知っていたようで、その一言以外他には何もありませんでした。

母に怪我をさせた私が悪いんだと思いました。

母に怪我を負わせるような事をした私が悪いから、息ができなくなったんだと思いました。




でも、あの時本当は「大丈夫?」という一言が欲しかったのだと思います。