うちの両親は「忙しい人」でした。
父も母もワーカホリックなんじゃないかと思うくらい仕事熱心でよく働いていました。
だから幼い頃から私は自ずと一人の時間が増え、仕事で苛々する両親に気をつかい、仕事の愚痴を聞き、機嫌の悪そうな両親に対しての不満も飲み込んできたのです。
勿論、喧嘩はたくさんしました。
当時の私は認知行動療法なんて言葉も知らなかったわけですから、自分の怒りや悲しみや不安や寂しさがどこからくるのかなんて考える事もできなかったのですが・・・。
だけど、どうやっても両親に自分の気持ちを伝えられなくて、喧嘩する度に結局悪いのは私になって、何も理解してもらえないまま(親は理解したつもりでいたのかもしれませんが)結局また同じ事を繰り返してきました。
自分に非が無かったわけじゃありません。
だけど理解して欲しかった。
家出して、やっと気持ちを解かってもらえるかと思ったら、やっぱり私が悪かった事になっていた。
自分以外の人間の振りをする事でしか誰かに甘える事ができなかった私の精神状態も、相手を試す事でしか愛情をはかれなかった私の孤独も、家出をする程だった私の心理状態も、理解しようとしてくれているように見せて、結局は理解してもらえていなかった。
挙げ句の果てには「本当は病気じゃなかったんでしょ?」と言い訳さえもさせてもらえない勢いで怒り、「自分達はこんなに変わったじゃないか」と押しつけられ、それと引き換えに私にも変わる事を要求してきた。
あのとき、私が心を病んでいると言ったら取り合ってくれたのだろうか?
精神科医になりたいと思い、日頃からそういった書物を読み漁っていたから感化されただけだろうと一蹴されたのではないだろうか。
たしかにうちの両親は変わったかもしれない。
温厚になった。
だけど一番変わって欲しい部分は変わっていなかった。
父親の変化は目に見えてわかった。
父にはその点に関しては感謝しているし申し訳ないと思っている。
彼も仕事が厳しい状態の中で大変だった事だろう。
だけど母親は…?
母は何が変わっただろう?
学校に行けない私を罵らなくなったくらいだろうか。
そうだ、思い出した。
高校時代、学校に行けずに一日中部屋に籠って過ごしていた私を母は怒鳴り散らし嫌味を言うばかりだった。
学校に行けない理由も聞いてもらえなかった。
彼女自身仕事で忙しかったのだろう。
高校は嫌いではなかったけれど、馴染めなかった。
高校一年の夏、仲良くしていた女の子たちの輪に入れなくなってしまってから。
そしてそのグループのリーダー格である子がクラスを仕切るようになってからクラスに居づらくなってしまったのだ。
それまでは学校の行事にも積極的に参加し、クラス委員を勤め、中心的存在になっていた。
部活にも力を入れて、成績も悪くなかったし、勉強も好きだったのに。
「また馴染めなかった」そんな気持ちでいっぱいで苦しかった。
それから学校に行けなくなった。
だけど一人は寂しくて、ネットの世界にはまっていった。
でも何処に行っても馴染めなかった。
何が悪かったんだろう?
どうしてこうなってしまったんだろう?
学校に通えないのは自分の怠慢だと思っていたけれど、今だから言える…怠慢のせいじゃなかったと思う。
だけど、そんな私を見て「怠慢だ」と一番思っていたのは母なのではないだろうか。
そしてその「怠慢」を「しかたない」と思って「見逃す事」が彼女の一番の「変化」だったのではないだろうか。
だけど私の求めていたものは違った。
学校に行けない自分の状態の原因を一緒に探して欲しかった。
そんな状態になる自分の辛さを理解しようとして欲しかった。
「どうしたの?」「何かあったの?」と聞いて欲しかった。
私は、好き好んで高校を登校拒否していたわけじゃないんだよ…。
本当はみんなみたいに高校生活を楽しみたかった。
部活に勉強に恋愛に行事にと。
冷めた振りしていても寂しかった。
冷めた振りしていないと、自分が惨めで情けなくて苦しくて辛かったんだ。
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